女優キムラ緑子さんの実家は兵庫県淡路島にあり、現在も88歳の父親と87歳の母親がそこで暮らしています。
地域バスの運行に尽力して勲章を授与された父親、奄美大島出身で演劇部の人気者だった母親。
そしてキムラ緑子さんとの間には、笑いあり涙ありの心温まるマル秘エピソードが数多く存在するのです。
今回は兵庫県淡路島在住の両親との印象的な5つのエピソードをご紹介。
父親と母親は今どのような生活を送り、キムラ緑子さんはどのように両親と向き合っているのでしょうか。
キムラ緑子さんと両親のマル秘エピソード5選をお届けします!
Contents
キムラ緑子の父親
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キムラ緑子さんの父親は現在88歳で兵庫県淡路島に在住。
大病を経験した後も自宅で一人暮らしを続けており、持ち前の強さで日々を過ごしています。
父親の一番の功績は、若い頃に淡路島で地域バスの運行を実現させたことです。
この地域社会への多大な貢献により勲章も授与されています。
淡路島では現在、複数のバス会社が路線バスやコミュニティバスを運行しており、島民や観光客の重要な足となっています。
その基盤形成に父親が関わっていたのです!
キムラ緑子さんは故郷へ帰省するたびに、父親が残した功績の大きさを実感すると語っています。
母親とは高校時代の同級生で、現在も母親が施設に入所した後、キムラ緑子さんが帰省する際には3人で過ごす時間を作っています。
とても仲の良い親子だということが伝わってきますね!
キムラ緑子の母親
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キムラ緑子さんの母親は87歳で、現在は認知症のため施設で生活しています。
奄美大島出身で、高校時代は演劇部に所属しており、父親曰く「人気者」だったそうです。
キムラ緑子さん自身も、高校時代の母親の写真を見て自分とそっくりだと感じており、容姿だけでなく感情の起伏が激しい点も似ていると分析しているのです。
若い頃は祖父母がやっていた菓子店を継ぎ、スーパーとして経営。
いつも明るく元気で楽しそうに商売をしていましたが、近所に大手商業施設が進出したことで閉店を余儀なくされます…。
この出来事を境に母親の笑顔は消え、元気がなくなってしまったのです。
キムラ緑子さんは母親について「どんなときも味方になってくれる包容力のある女性」と語っています。
進学や上京を考えた時にも「好きなことをやってみたらいい」と後押ししてくれたのです。
キムラ緑子と両親のマル秘エピソード
キムラ緑子さんと両親の間には、心に残る様々なエピソードがあります。
ここでは特に印象的な5つをご紹介したいと思います。
①父親の「高齢者」発言に落ち込む
2025年2月、88歳の父親が入院することになり、キムラ緑子さんが付き添って主治医の説明を受けました。
医師から「高齢者の場合は、治療するにあたっていろいろリスクもあります」と優しく丁寧に説明を受け、キムラ緑子さんは「いいお医者さんで良かった」と安心します。
ところが自宅に戻ると、父親がテレビの前で腕組みをしたまま動かなくなってしまいました。
理由を聞くと「高齢者って言われたなあ」と落ち込んでいたのです。
キムラ緑子さんは「うそん、そこ?88歳を高齢者と言わず何と呼ぶ?興味深い」と、父親の反応に驚きつつも心を打たれたそう。
年齢を重ねても若々しい心を持ち続ける父親の姿が印象的ですね!
②バスの現金払いで後回しにされた父
2022年12月、キムラ緑子さんは父親が体験した出来事をSNSで共有しました。
父親が「もう、何にもできなくなってきた」と嘆いており、その日は現金でバスに乗ろうとしたところ後回しにされ、早く並んでいた意味も無くなってしまったというのです。
キムラ緑子さんは「なんて、老人に優しくない国」という言葉に深く共感しました。
地域のために尽力し勲章まで授与された父親が、晩年にこうした扱いを受けることに切なさを感じます…。
デジタル化が進む現代社会で高齢者が直面する日常の不便さを、父親の体験を通じて実感させられるエピソードでしょう。
③母親の店が閉店に追い込まれた記憶
キムラ緑子さんの母親は、祖父母から受け継いだ菓子店をスーパーとして経営していました。
母親は明るく元気で、いつも楽しそうに商売をしており、その姿は幼いキムラ緑子さんの心に深く刻まれていました。
しかし近隣に大手商業施設が進出したことで、個人経営の小さな店では太刀打ちできず閉店を余儀なくされます…。
この出来事を境に、母親から笑顔が消え、元気がなくなってしまったのです。
キムラ緑子さんは「故郷に帰ると今でも、当時のことがよみがえる」と語っています。
地域経済の変化が一つの家族に与える影響の大きさが伝わってくるエピソードですね…。
④母親の施設入所を決断した経緯
母親の入退院は繰り返されていました。
2023年12月の時点で、キムラ緑子さんが「20回だか30回だか、もーわからないくらい入退院を繰り返している」と投稿するほどの状況でした…。
当初は87歳の父親が母親のケアを担っていましたが、その負担は相当なものでした。
2024年4月、キムラ緑子さんは母親が施設に入所したことを公表します。
この決断には、友人から「みんなが楽になるよ。プロに任すのが、一番いいよ」という助言を受けたことが後押しになったといいます。
キムラ緑子さんは「とにかく前に進む」と前向きな姿勢を示し、入所した施設は外出が自由であることも明かしました。
帰省の際には3人で過ごす時間を作っています。
多くの人が直面する介護の課題に、現実的な解決策を見出した決断といえるでしょう!
⑤奄美大島で祖父母と母のルーツを辿る旅
キムラ緑子さんの母親と祖父母は奄美大島の出身です。
2023年4月、キムラ緑子さんはテレビ番組の企画で初めて奄美大島を訪問し、自身のルーツを探る旅を行いました。
島では島豆腐屋が営む食堂で郷土料理を味わい、マングローブの原生林でカヤックを体験しました。
旅の終盤には、古くから島の人々に崇拝される神聖な場所で祈りを捧げ、祖父母と母親が暮らしていた村を訪問します。
初めて会う親戚から思い出の品を見せてもらい、話に花が咲いたといいます。
認知症を患う母親の記憶を辿りながら、自分自身のアイデンティティを確認する貴重な旅となったのです。
母親が奄美大島から淡路島へ移り住んだ背景を知ることで、家族の歴史をより深く理解できたのではないでしょうか!
まとめ
キムラ緑子と両親のマル秘エピソード5選をご紹介しました。
兵庫県淡路島に暮らす88歳の父親と87歳の母親との間には、心温まる物語がたくさんあります。
医療や介護の現実、デジタル化社会での高齢者の困難、地域経済の変化、そして家族のルーツを辿る旅。
これらのエピソードには、現代社会が抱える様々な課題と、それに向き合う家族の姿が映し出されています。
キムラ緑子が「家族にはとても感謝している」「両親が大きな支えだった」と語るように、時間を見つけては帰省し、3人で過ごす時間を大切にする姿勢に、家族への深い愛情が感じられます。



