元宝塚歌劇団雪組トップスターとして輝かしいキャリアを築いた麻実れいさん。
華やかな舞台人生とは別に、彼女には45歳で結婚し、突然2人の息子の母親になったという知られざる物語があります。
しかも息子さんたちは実子ではなく、日仏ハーフという特別な環境で育った方々なんです。
血のつながらない家族との絆をどのように築いていったのか。
今回は麻実れいさんと息子さんたちとの心温まる5つのマル秘エピソードをはじめ、継母として歩んだ道のりを詳しくご紹介します。
亡き母への敬意を忘れず、愛情と厳しさのバランスを保ちながら家族を育んできた姿に、きっと感動すること間違いなしですよ。
Contents
麻実れいは結婚して突然2児の母になる
麻実れいさんは45歳で、人生における大きな転機を迎えました。
結婚相手は実業家・信元久隆さんです。
この結婚により、一夜にして2人の息子さんの母親という立場になりました。
当時まだ小学生だった息子さんたちとの生活は、舞台で輝き続けてきた彼女にとって、未知の世界への挑戦だったに違いありません。
女優としてのキャリアと母親業の両立は簡単ではなかったはずですが、彼女は真摯にその役割を受け入れていきました。
麻実れいの息子は実子ではない
麻実れいさんには実のお子さんはいません。
信元久隆さんには前妻との間に2人の息子さんがいました。
結婚と同時に連れ子の継母になったのです。
血のつながらない子どもたちとの関係構築は難しいもの。
麻実れいさんは「息子を2人預かった」と表現し、真摯に向き合ってこられました。
2人の息子は日仏ハーフ
息子さんたちの実母はフランス国籍の方でした。
2人の息子さんは日仏ハーフです。
家庭内にはフランス文化が根付いており、日常的にハグをするなどスキンシップを大切にしていました。
麻実れいさんは「触れることで思いが伝わる」と語っており、フランス式のコミュニケーションを自然に取り入れていったそうです。
麻実れいと息子のマル秘エピソード5選
ここからは、麻実れいさんと息子さんたちとの間に生まれた心温まるエピソードを5つご紹介していきます。
継母としての深い配慮、愛情、そして時には厳しさも見せた彼女の子育てスタイルが見えてくるはずです。
①前妻の写真に関するエピソード
最も感動的なのが前妻の写真に関するエピソードです。
結婚後、息子さんたちが「お母さんの写真がなくなった」と訴えてきました。
夫が配慮から片付けていたのです。
麻実れいさんは「それはダメです」と伝え、最も日当たりの良い場所に写真を飾るよう提案しました。
息子さんたちは心から安心したそうです。
多くの継母は前妻の存在を遠ざけたくなるもの。
しかし麻実れいさんは真逆の選択をされました。
息子さんたちの心情を最優先に考えた姿勢は素晴らしいです。
②「ターコさん」という呼び方
麻実れいさんは息子さんたちに「お母さん」と呼ばせませんでした。
代わりに「ターコさん」という呼び方を選びました。
「亡くなったお母様は君たちのお母さん。私はターコさん」と伝えたそうです。
実母の存在を決して否定しない、自分は母親の代わりではなく新しい家族の一員として受け入れてもらいたいという想いが込められています。
距離感を保ちながらも親しみやすい関係を築くための工夫だったんですね。
無理に母親役を押し付けない配慮が素晴らしいです。
③朝5時起きの弁当作り
女優として多忙な麻実れいさんでしたが、母親としての役割も決して疎かにしませんでした。
当時小学生だった息子さんたちのため、朝5時に起きて弁当を作ることもあったといいます。
夜遅くまで仕事がある中でも、早朝に起きて手作り弁当を用意する姿には本当の愛情を感じますよね。
このエピソードからは、形だけの継母ではなく本気で母親業に取り組んでいたことがわかります。
血のつながりがなくても、日々の小さな積み重ねこそが大切なんです。
④厳しさと愛情のバランス
麻実れいさんはただ優しいだけの継母ではありませんでした。
息子さんたちに対して「怒るときは徹底して怒った」と語っています。
継母という立場でも遠慮せず、本当の親として接しました。
血のつながらない子どもを叱るのは難しいもの。「嫌われたらどうしよう」という思いが頭をよぎるはずです。
しかし遠慮を一切せず、真剣に向き合ったそうです。
この姿勢こそが息子さんたちからの信頼を勝ち取った秘訣なのかもしれません。
⑤家族で観劇
麻実れいさんは息子さんたちと一緒に観劇を楽しんでいました。
舞台芸術の世界で活躍してきた彼女ならではの文化的な家族時間です。
単に生活のお世話だけでなく、芸術鑑賞という豊かな体験を共有していました。
夫も若い頃から文楽に親しんでおり、家族揃って伝統芸能を楽しむ時間はかけがえのないものだったはずです。
また家庭内ではハグを交わすなどスキンシップも大切にしていたといいます。
こうした日々の積み重ねが深い絆を生み出しました。
まとめ
麻実れいさんが45歳で結婚し、突然2人の息子さんの継母になった物語をご紹介しました。
実子ではない日仏ハーフの息子さんたちと、亡き母への敬意を忘れず「ターコさん」という呼び名で家族の絆を築いてきた姿は本当に感動的です。
早朝からの弁当作りや厳しくも愛情深い子育て、文化的な体験の共有など、血のつながりを超えた真の家族愛が伝わってきましたね。
現在息子さんたちは40代でそれぞれ家庭を持っています。
「信じる心があれば」という彼女の言葉は、多様化する現代の家族のあり方を示す素晴らしいメッセージではないでしょうか!



