グエン・ドクのwiki経歴と学歴!「ベトちゃんドクちゃん」の分離手術から37年!

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「ベトちゃんドクちゃん」として知られるグエン・ドク氏の経歴と学歴が注目を集めています。

1981年に結合双生児として誕生し、1988年に歴史的な分離手術を受けてから37年が経過しました。

現在44歳となったグエン・ドク氏は、平和活動家として精力的に活動を続けています。

ベトナム戦争の悲劇を象徴する存在から、二児の父として前向きに生きる姿は、多くの人々に勇気と希望を与え続けています。

グエン・ドクのwiki経歴

グエン・ドク氏は、戦争の悲劇を乗り越えて前向きに生きる姿で、世界中の人々に感動を与え続けている人物です。

ベトナムと日本の友好の架け橋として重要な役割を担っています。

結合双生児としての誕生

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1981年2月25日、ベトナム中部のコントゥム省で、兄グエン・ベト氏と下半身がつながった状態で誕生しました。

二人はY字型に結合し、骨盤や臓器を共有する結合双生児だったのです。

この地域はベトナム戦争中に枯葉剤が大量に散布された場所でした。

母親は終戦後に移住し、農業に従事していました。

双子の状態は枯葉剤の影響によるものと指摘され、戦争の深刻な爪痕を物語っています。

生後まもなく両親は経済的な理由から二人を病院へ預け、その後離婚しました。

双子は1歳の時にハノイのベトナム・東ドイツ友好病院へ移され、「ベト(越南=ベトナム)」「ドク(徳国=ドイツ)」と名付けられます

病院名から取られた名前に、国際支援への期待が込められていたと感じます。

分離手術と国際的支援

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結合双生児の写真が日本で紹介されると、大きな反響を呼びました。

1985年6月、福井県敦賀市で「ベトちゃんとドクちゃんの発達を願う会」が結成され、募金活動が展開されます。

1986年6月、兄ベト氏が急性脳症を発症し、緊急来日して東京で手術を受けました

しかし後遺症が残ってしまったのです。

1988年3月、母親と再会後にベト氏が意識不明の重体に陥りました。

二人とも命を落とす危機を回避するため、分離手術の実施が決断されます。

当時の医療技術では極めて困難な判断だったことでしょう。

日本赤十字社が手術を支援し、日本人医師4名がベトナムへ派遣されました。

ベトナム人医師70名と共に、医療史に残る大手術に挑んだのです。

手術後の人生

分離手術後、ドク氏は障害児学校から中学校へ進学しました。

中学校は中退しましたが、その後高等職業学校でコンピュータープログラミングを学び、新しい道を切り開きます。

卒業後は自身が手術を受けたツーズー病院で事務員として勤務を始めました。

仕事の傍らボランティア活動にも積極的に参加し、社会とのつながりを大切にしていたのです。

2006年12月、ボランティア活動で出会ったグエン・ティ・タイン・トゥエンさんと結婚しました。

2009年10月には男女の双子が誕生します。

日本への感謝を込めて、男児にはグエン・フー・シー(阮富士)、女児にはグエン・アイン・ダオ(阮櫻桃)と名付けました。

一方、兄ベト氏は重い脳障害で寝たきりの状態が続きました。

ドク氏夫婦は献身的に介護を続けますが、2007年10月6日、ベト氏は26歳の若さで亡くなったのです。

現在の活動

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現在、ドク氏は平和親善大使として国内外で講演活動を展開しています。

2017年4月には広島国際大学の客員教授に就任し、年に数回講義を担当中です。

ホーチミン市日越友好協会の委員やサザンブリーズ株式会社の平和事業部長を務めるほか、NPO法人「美しい世界のため」の代表として社会貢献活動を推進しています。

2017年3月には、ベトナムを訪問された上皇明仁陛下(当時天皇)と面会しました。

日越友好の象徴的な出来事として大きく報道されています。

2024年には、家族の日常を追ったドキュメンタリー映画『ドクちゃん-フジとサクラにつなぐ愛-』が公開されました。

日越外交関係樹立50周年記念事業として認定されています。

現在の健康状態

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2025年現在、44歳となったドク氏は健康面で深刻な課題を抱えています。

腎臓や消化器系の不調に悩まされ、入退院を繰り返す生活が続いているのです。

それでも右脚と2本の松葉杖で歩き、三輪バイクで15歳になる双子の送り迎えをこなしています。

10回以上の手術を受けながらも、家族との時間を何よりも大切にする姿には心を打たれます。

講演では「私の体のなかには兄の皮膚も肉も残っていて、兄のために頑張ろうと過ごしている」と語りました。

兄への深い愛情と、生きることへの強い意志が伝わってきます。

グエン・ドクの学歴

教育環境に恵まれていたとは言えない中、ドク氏は学ぶ意欲を決して失いませんでした。

困難な状況を乗り越えて知識を身につけた経歴は、多くの人に希望を与えています。

初等・中等教育

1989年から1996年にかけて、障害児学校から中学校へ通学しました。

身体的なハンディキャップを抱えながらの学校生活は、想像を絶する苦労があったことでしょう。

中学校は途中で中退することになります。

しかし、ここで学びを諦めなかったことが、その後の人生を変えていくのです。

職業教育

中学中退後、高等職業学校の情報学科へ進学しました。

ここでコンピュータープログラミングを学び、実践的な技能を習得したのです。

当時、ベトナムではコンピュータ教育がまだ一般的ではありませんでした。

職業学校で身につけたスキルが、その後ツーズー病院での事務員としての就職につながります。

現在も病院で働きながら、様々な社会活動に従事しているのです。

ベトちゃんドクちゃんの分離手術から37年

1988年の分離手術から37年が経過し、医療の歴史に残る出来事として語り継がれています。

この手術の成功が、ドク氏の人生を大きく開いたのです。

歴史的な分離手術

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1988年10月4日、ホーチミン市立ツーズー病院で17時間に及ぶ大手術が行われました。

ベトナム人医師70名と日本人医師4名が参加した国際プロジェクトです。

日赤医療センターの麻酔科部長だった荒木洋二氏は「2人のうち1人、あるいは2人ともこの世を去るのではないかという不安を持ち続けていました」と振り返っています。

それほど困難な手術だったのです。

手術では、ベト氏に左足、ドク氏に右足がそれぞれ残されました。

共有していた臓器をどう分配するか、医師団は究極の判断を迫られたのです。

結果として手術は成功し、二人は別々の人生を歩み始めることができました。

日本とベトナムの医療チームが協力した、国境を越えた人道支援の象徴となった出来事だったと言えます。

兄・グエン・ベトの存在

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兄ベト氏は、手術前の急性脳症の後遺症により、分離後も重い脳障害を抱えていました。

寝たきりの状態が続き、弟とは対照的な人生を歩むことになったのです。

ドク氏が結婚後、夫婦は兄を引き取って献身的に介護を続けました

自身も決して楽ではない生活の中、家族として支え合う姿は多くの人の心を打ちます。

2007年10月6日、ベト氏は26歳で亡くなりました。

分離手術から約19年間、弟に見守られながらの人生でした。

ドク氏は「ベトは僕の中で生き続けている」と語り続けています。

「今も兄の分まで生きようと思っている」という言葉には、深い兄弟愛が込められているのです。

「兄のためにも平和を訴え続けることが自分の使命だ」と述べ、亡き兄への思いが平和活動の原動力になっていることが伝わってきます。

まとめ

グエン・ドク氏は結合双生児として誕生し、1988年の歴史的な分離手術を経て、現在は平和活動家として活躍しています。

障害児学校から職業学校でプログラミングを学んだ学歴を持ち、病院事務員として働きながら講演活動を展開中です。

健康面での課題を抱えながらも、二児の父として前向きに生きる姿は、戦争の悲劇を乗り越えた生命力の象徴となっています。

亡き兄への深い思いを胸に、日越友好と平和を訴え続ける活動は、多くの人々に勇気と希望を与え続けているのです。

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