格闘技イベント「BreakingDown」で話題を集める「やるべしたら竜」こと佐藤竜さん。
北海道弁の決め台詞と激しいファイトスタイルで注目される彼ですが、その裏には壮絶な半生がありました。
幼少期の過酷な環境から更生し、現在は経営者としても活躍する佐藤竜さんのwiki経歴と学歴、そしてBreakingDownでの軌跡を詳しく紹介します。
Contents
佐藤竜さんのwiki経歴
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佐藤竜さんは1998年5月15日生まれの格闘家です。
「BreakingDown」への参戦をきっかけに、その独特のキャラクターと激しい戦いぶりで一躍有名になりました。
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「やるべしたら竜」の誕生
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佐藤竜さんのニックネームが全国に広まったのは、「BreakingDown14.5」の楽屋での出来事がきっかけです。
大阪のダイスケ選手との一触即発の状況で、挑発に対して「おう!やるべしたら!」と北海道弁で応酬しました。
この動画は85万回以上再生され、「やるべしたら竜」という通称が定着。
「やってやろうじゃないか」を意味するこの言葉は、彼の闘争心を象徴する決め台詞となっています。
壮絶な半生
佐藤竜さんの生い立ちは想像を絶する過酷さでした。
4人兄弟の末っ子として生まれましたが、母親は育児を放棄し、父親は暴力的な性格。
食べ物がない日が続き、兄がスーパーから持ってきた食料で飢えをしのぐ生活でした。
「父親に勝ちたい」という思いから、幼い頃から筋トレを始めたといいます。
さらに頼りにしていた兄たちは、金庫窃盗事件を起こし警察とのカーチェイスで車が炎上して命を落とします。
全国ニュースになったこの悲劇は、佐藤竜さんの人生観に深い影響を与えました。
家庭での虐待により児童施設に入った後も、居場所を作るために年上との喧嘩を繰り返します。
中学時代は留置所で過ごす時間がほとんどで、「少年院に入らなかったのが奇跡」と振り返るほどでした。
転機が訪れたのは15歳の時。
留置所のテレビで、同い年の平野歩夢選手がオリンピックでメダルを獲得する姿を見ます。
「同じ年齢の彼が世界の舞台に立っているのに、自分は手錠をかけられている」というギャップに衝撃を受け、「このままでは終われない」と更生を決意しました。
この瞬間が彼の人生を変える転換点となったのです。
「BreakingDown」での戦いの記録
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更生後、格闘技の道に進んだ佐藤竜さんは「BreakingDown」で頭角を現します。
1分1ラウンドという独特のルールの中で、持ち前のアグレッシブな戦いぶりを見せてきました。
| 大会名 | 対戦相手 | 結果 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 北海道喧嘩自慢選考会 | のすけ | KO勝利 | 左パンチ一発で瞬殺 |
| 北海道喧嘩自慢選考会 | パンチ齋藤 | 判定引き分け | – |
| BD15オーディション | 健斗 | 判定勝利 | 北海道vs沖縄対抗戦 |
| BD15.5 | 283aka我武者羅 | 判定0-3で敗北 | 茨城vs北海道対抗戦 |
| BD16オーディション | じゅん坊 | KO勝利 | 右オーバーハンド |
| BD16 | sakkki | 判定1-4で敗北 | 前日計量で体重超過 |
| BD17.5 | 富永啓悟 | 1R KO勝利 | – |
北海道喧嘩自慢選考会では、のすけ選手を左パンチ一発でKOする衝撃的なデビューを飾りました。
BD15オーディションでは健斗選手に判定勝利を収め、BD16オーディションではじゅん坊選手を右オーバーハンドでKO。
しかしBD16本戦のsakkki戦では前日計量で体重超過という失態を犯し、判定敗北。
体重超過のペナルティとして2大会出場停止処分を受ける厳しい結果となりました。
その後BD17.5では富永啓悟選手を1RでKOし、復活を印象づけています。
勝ったり負けたりの戦績ですが、いつも全力で戦う姿勢がファンの心を掴んでいるのでしょう。
リング外の顔
格闘家としての顔とは別に、佐藤竜さんは札幌市で「FUJI工業株式会社」を経営しています。
空調設備や電気設備を手がける会社で、もともとは亡き兄と始めた内装業が原点でした。
「兄と築いたものを絶やしたくない」という思いが経営の原動力になっているそうです。
プライベートでは既婚者で、2人の子供の父親。
SNSでは家族との時間を大切にしたいという思いを綴るなど、家族思いの一面も見せています。
「Breakingdown18」での悲劇と再起の誓い
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2025年12月、佐藤竜さんのキャリアを揺るがす事件が発生します。
「BreakingDown18」の前日会見で、対戦相手の江口響選手から不意打ちのビンタを受けて失神。
後頭部を地面に強打し、足が痙攣する危険な状態に陥りました。
北海道へ帰る飛行機の中で体調が急変し、再検査の結果「くも膜下出血」と診断されます。
佐藤竜さんは自身のSNSで「脳内に出血が発見されて、状態は良くないです」と報告しました。
その後、医師の管理下で治療を受け、症状は徐々に安定。
驚くべきことに、回復の兆しが見え始めると「名古屋大会では、江口をKOして無念を晴らします」と翌年3月の復帰を宣言したのです。
ファンからは「命を大切にしてほしい」という心配の声が多数寄せられています。
闘志は理解できますが、健康第一で慎重な判断をしてほしいものですね。
佐藤竜さんの学歴
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佐藤竜さんの具体的な学歴については、正式な学校名や卒業年などは公開されていません。
しかし幼少期から中学時代にかけての経験は明らかになっています。
小学生時代
小学校時代、佐藤竜さんは同じ学校に継続して通うことができませんでした。
家庭での虐待により児童施設で生活することになります。
施設でも「挨拶代わりに暴れていた」と本人が語るほど荒れており、年上や体格の大きい相手と常に戦う日々でした。
喧嘩が強くなれば周りが認めてくれると思っていたそうですが、実際には恐れられるだけで孤独だったと振り返っています。
中学生時代
中学時代は最も荒れた時期でした。
ほとんどの時間を留置所で過ごし、ビール瓶を持った大人3人と喧嘩するなど問題行動を繰り返します。
小学校も中学校も同じ場所に通い続けることができず、「教育委員会から追い出された」と語っています。
15歳の時、留置所のテレビで平野歩夢選手の活躍を見て衝撃を受け、更生を決意。
「コツコツ努力することが成功への近道」という考えに至りました。
高校生・大学生時代
高校時代や大学時代に関する具体的な情報は見つかっていません。
最終学歴についても公開されておらず、調査中とされています。
15歳で更生を決意した後の教育についての詳細は不明ですが、現在、札幌市で会社を経営する実業家として活躍していることから、社会復帰を果たし事業経営のスキルを身につけたことは確かです。
学歴よりも、その後の生き方が彼の価値を証明しているといえるでしょう。
まとめ
佐藤竜さんは、壮絶な幼少期と非行の時代を経て15歳で更生を決意しました。
現在は「やるべしたら竜」として格闘技イベントBreakingDownで活躍し、経営者としても成功を収めています。
2025年末の悲劇的な事故からの復帰も宣言しており、その不屈の精神は多くの人に勇気を与えています。
彼の生き様は、どんな逆境からでも這い上がれることを示す希望の物語です。


