スピードスケート界の頂点に立ち続ける高木美帆選手のwiki経歴と学歴をご紹介します。
日本人女子選手史上最多のメダル獲得を誇り、女子1500mの世界記録保持者でもある高木美帆選手は、15歳でのバンクーバー五輪最年少出場から始まり、挫折と復活を繰り返しながら世界の頂点へ上り詰めました。
その軌跡は、多くの人々に感動と勇気を与え続けています。
Contents
高木美帆のwiki経歴
高木美帆選手は北海道幕別町出身のスピードスケーターです。
短距離から長距離まで幅広い種目でトップレベルの実力を誇るオールラウンダーとして知られており、まずはプロフィールから見ていきましょう。
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スポーツ一家に育った高木美帆選手。
姉・菜那さんと共に「スケート姉妹」として日本スケート界を長年牽引してきた姿は、本当に誇らしく感じます。
生い立ちとスケートへの道
高木美帆選手は1994年5月22日、冬が長く厳しい北海道の幕別町で誕生しました。
兄・大輔さんが長野五輪金メダリストの清水宏保選手に憧れてスケートを始めたことがきっかけとなり、高木美帆選手も5歳からスケートに親しむようになります。
幼少期はスケートだけでなく、サッカーやダンスにも熱中。
「何かのためではなく純粋に楽しむ」という姿勢でスポーツに取り組んでいたといいます。
地元の指導者から「100年に一度の逸材」と評されるほどの素質は、この自由な環境の中で育まれたのかもしれません。
ジュニア時代の活躍とバンクーバー五輪
2009年の全日本ジュニアスピードスケート選手権で総合優勝を果たした高木美帆選手は、同年末の五輪代表選考会で1500mを制し、スピードスケート史上最年少となる15歳でオリンピック代表の座を獲得しました。
「スーパー中学生」として全国的な注目を集めることになります。
2010年のバンクーバー五輪では1500mが23位、1000mが35位という結果に終わりましたが、世界のトップ選手との差を肌で感じたこの経験こそが、後の成長を支える糧になったといえるでしょう。
帰国後も勢いは止まらず、2012年・2013年と世界ジュニア選手権で2連覇という日本人初の快挙を達成しています。
ソチ五輪代表落選
2013年に日本体育大学へ進学した高木美帆選手でしたが、同年末のソチ五輪代表選考会では全種目で5位に終わり、まさかの代表落選という結果を突きつけられます。
姉・菜那選手が代表に選出された一方、高木美帆選手は選に漏れるという、姉妹の明暗が分かれる形となりました。
この挫折こそが高木美帆選手の競技人生を変えた転換点。
「失敗から逃げず、向き合う力」こそ、彼女の強さの源泉ではないでしょうか。
平昌・北京五輪での飛躍
2015年にヨハン・デ・ヴィットコーチが日本代表の指揮を執るようになると、高木美帆選手は本格的な筋力トレーニングに取り組み、課題のフィジカルを大幅に強化しました。
その成果が2018年平昌五輪で一気に花開きます。
平昌では団体パシュートで金メダル、1500mで銀メダル、1000mで銅メダルを獲得。
1大会で金・銀・銅の3色すべてを手にした、史上初の日本女子選手に輝いたのです。
続く2022年北京五輪では日本選手団の主将を務め、1000mで五輪新記録(1分13秒19)をマークして個人種目の金メダルも手中に。
1大会4メダルという日本人史上初の快挙で、その名をさらに高めました。
ミラノ・コルティナオリンピックへの道
北京五輪後、高木美帆選手はヨハン・デ・ヴィットコーチとともにプライベートチーム「Team GOLD」を設立し、国籍を超えた環境で新たな挑戦を開始しました。
「最後のピース」と公言する1500mでの五輪金メダル獲得を目標に掲げ、ミラノ・コルティナ2026に臨んでいます。
ミラノ・コルティナ2026ではすでに500mと1000mで銅メダルを獲得済みで、通算メダル数を9個に更新。
自身の世界記録(1分49秒83)を持つ1500mでの頂点を目指す姿には、ただただ頭が下がります。
オリンピックでのメダル獲得歴
高木美帆選手のオリンピックにおけるメダル獲得歴は以下の通りです。
日本人女子選手史上最多となる通算9個という数字が、彼女の偉大さを雄弁に物語っています。
| 大会 | 種目 | メダル |
|---|---|---|
| ミラノ・コルティナ2026 | 女子500m | 銅メダル |
| ミラノ・コルティナ2026 | 女子1000m | 銅メダル |
| 北京2022 | 女子500m | 銀メダル |
| 北京2022 | 女子1000m | 金メダル |
| 北京2022 | 女子1500m | 銀メダル |
| 北京2022 | 女子団体パシュート | 銀メダル |
| 平昌2018 | 女子1000m | 銅メダル |
| 平昌2018 | 女子1500m | 銀メダル |
| 平昌2018 | 女子団体パシュート | 金メダル |
個人記録
高木美帆選手のパーソナルベスト(自己最高記録)は以下の通りです。
特に1500mの世界記録は2019年3月に樹立され、現在も世界最高記録として輝き続けています。
| 種目 | 記録 | 場所 |
|---|---|---|
| 500m | 37秒12 | 北京 |
| 1000m | 1分11秒71 | ソルトレイクシティ |
| 1500m(世界記録) | 1分49秒83 | ソルトレイクシティ |
| 3000m | 3分55秒45 | カルガリー |
| 5000m | 7分01秒97 | ハーマル |
高木美帆の学歴
高木美帆選手の学歴を振り返ると、スケートだけでなく多様なスポーツに挑戦しながら成長してきた姿が見えてきます。
各時代の経験が現在の高木美帆選手を形成していると感じます。
小学生時代
出身校:幕別町立札内北小学校(北海道中川郡幕別町)
5歳でスケートを始めた高木美帆選手は、小学2年生からサッカーも習い始めました。
スケート・ダンス・サッカーと複数のスポーツを掛け持ちしながら、純粋にスポーツを楽しんでいたといいます。
「何かのために頑張るのではなく、楽しむことが大事」という姿勢が才能を伸ばす原点になったのでしょう。
地元の関係者からは、小学5年生の頃にはすでに将来を嘱望されていたそうで、その片鱗は幼い頃から表れていたようです。
中学生時代
出身校:幕別町立札内中学校(北海道中川郡幕別町)
中学時代は、スケートとサッカーの二刀流で才能を発揮した時期です。
「とかち帯広フットボールクラブ」に所属し、北海道選抜として日本サッカー協会のU-15合宿に参加するほどの実力を誇っていました。
日本サッカー協会の田嶋幸三会長(当時)が「なんとかサッカーにとどまってくれないかと思った」と語ったほどの逸材でありながら、最終的にはスケートへの専念を決断した高木美帆選手。
中学3年生でバンクーバー五輪代表に選出されたことが、その決断を後押しした形となっています。
高校生時代
出身校:北海道帯広南商業高等学校(帯広市)
バンクーバー五輪後に進学した帯広南商業高校では、東出俊一監督の指導のもと「100年に一度の選手」へと飛躍を遂げました。
年間60レース以上という常識外れの出場数でオールラウンダーの道を貫いた高木美帆選手の姿勢は、今見ても圧倒されるほどです。
2012年・2013年の世界ジュニア選手権連覇という日本人初の快挙を達成した一方、卒業時には海外遠征で本来の卒業式に出席できなかったため、学校の計らいで「1人だけの卒業式」が開催されました。
そこに多くの同級生が駆けつけたというエピソードからも、彼女の人柄の温かさが伝わってきます。
大学生時代
出身校:日本体育大学 体育学部体育学科(東京都)
複数の実業団からの誘いを断り、日本体育大学への進学を選んだ高木美帆選手。
「スケートだけに専念するのは私らしくない」という信念による選択は、彼女の自分軸の強さを象徴するエピソードといえます。
大学在学中にソチ五輪代表落選という最大の挫折を経験しましたが、ヨハン・デ・ヴィットコーチのもとで肉体改造に取り組み、平昌五輪での3メダル獲得という結果に結びつけました。
大学時代の苦難があってこそ、現在の高木美帆選手が存在すると言っても過言ではないでしょう。
まとめ
高木美帆選手は、15歳での最年少五輪出場からソチ五輪落選の挫折を乗り越え、日本人女子選手史上最多となる通算9個のメダルを誇るレジェンドへと成長しました。
1500m世界記録保持者として、ミラノ・コルティナ2026での金メダル獲得を目指す姿は今も多くの人に感動を与えています。
挑戦し続ける姿勢こそ、高木美帆選手の最大の魅力です。


