フィギュアスケートのペア競技で、日本の歴史を塗り替え続けてきた選手がいます。
それが、木原龍一選手とともに「りくりゅう」として知られる三浦璃来選手です。
2019年のペア結成からわずか数年で世界トップに上り詰め、2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピックでは日本ペア史上初の金メダルを手にしました。
本記事では、三浦璃来選手のwiki経歴と学歴を詳しく追いながら、その輝かしい軌跡を紐解いていきたいと思います。
Contents
三浦璃来のwiki経歴
三浦璃来選手は2001年12月17日、兵庫県宝塚市に生まれ。
身長145cmと小柄ながら、その体格を武器にダイナミックな演技を披露するペア選手です。
木原龍一選手との「りくりゅう」ペアとして日本フィギュアスケート史に数々の「日本初」を刻んできたことで、多くのファンに愛されています。
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家族は父・雄次郎さん、母・由理子さん、妹の鈴音さんの4人家族。
父の雄次郎さんは三浦オートの社長を務めており、妹の鈴音さんとは特に仲が良いことで知られています。
普段、家族に試合の話はあまりしないと語っていることから、プライベートを大切にする一面がうかがえますね。
キャリアの始まり
三浦璃来選手が初めて氷の上に立ったのは、わずか5歳のころでした。
当初はシングル選手として活動していましたが、2015年に転機が訪れます。
コーチから「ペアのトライアウトがあるよ」と声をかけられ、身長が低いことも相まってペア競技への転向を決意したのです。
最初のパートナーは市橋翔哉選手で、2015年と2016年の全日本選手権ジュニアクラスで2連覇を達成するなど、スタートから結果を残してきました。
「りくりゅう」ペア結成と快進撃
2019年夏、世界的コーチであるブルーノ・マルコット氏の働きかけにより、木原龍一選手との運命のトライアウトが実現しました。
当時、木原龍一選手は引退も視野に入れていたのです。
しかし実際に二人でリンクを滑ってみると、声をかけずともスピード感が一致し、スロージャンプの息もぴったり。
木原龍一選手は「雷に打たれたような衝撃を受けた」とその瞬間を振り返っています。
これほど即座に化学反応が生まれるペアは珍しく、見ている側にも伝わってくるほどの相性の良さですよね。
ペア結成後はカナダ・トロントを拠点に練習を積み上げ、国際舞台で着実に存在感を示していきます。
9歳という年齢差を感じさせない「璃来ちゃん」「龍一くん」という気さくな呼び合いに、二人の自然な信頼関係が表れています。
試合前の緊張をほぐすために「マリオカート」で対戦するというエピソードも、ほほ笑ましいですね!
北京五輪での躍進と年間グランドスラム
「りくりゅう」が世界に名をとどろかせたのは、2022年北京オリンピックでのことでした。
団体戦では従来の日本の弱点とされてきたペア種目で高得点を記録し、日本史上初の団体銀メダルを支える大きな原動力となりました。
個人戦でも7位入賞を果たし、それまでの日本ペアの最高記録を塗り替えたのです。
さらに翌2022〜2023シーズンは、まさに歴史を動かしたシーズンと言っていいでしょう!
グランプリ(GP)シリーズのカナダ大会とNHK杯を連続優勝し、GPファイナルでは日本ペア史上初の優勝を達成。
続く四大陸選手権、世界選手権でも日本勢初の頂点に立ち、年間グランドスラムというアジア初の金字塔を打ち立てました。
これだけの偉業を一気に成し遂げたことには、心から驚かされますね!
試練を乗り越え、ミラノ・コルティナ五輪頂点へ
栄光の後に待っていたのは、決して楽ではない時間でした。
2023〜2024シーズン以降、木原龍一選手は腰椎分離症を患い、三浦璃来選手も肩の脱臼に悩まされました。
相次ぐ故障で欠場を余儀なくされる大会が増えましたが、木原龍一選手が語った「お互いを支え合う経験が大きな成長になった」という言葉には、二人の絆の深さが凝縮されていますね。
そして2026年ミラノ・コルティナ冬季オリンピック。
団体戦では2大会連続の銀メダルを獲得した後、個人戦ではショートプログラム(SP)で5位と出遅れる苦しい展開に…。
しかし翌日のフリースケーティング(FS)で、二人は別次元の演技を披露。
冒頭のトリプルツイストリフトから全要素を完璧にまとめ上げ、FSのスコアは158.13点という世界歴代最高得点。
合計231.24点での大逆転優勝は、日本ペア史上初の金メダルという夢の実現でした。
演技後、リンク上で泣き崩れる木原龍一選手の頭を、三浦璃来選手が静かになでる場面は、長年の苦労と信頼を物語るシーンとして多くの人の記憶に刻まれましたね!
成功を支えたサポート体制と人間性
「りくりゅう」の快挙を裏側から支えてきたのが、木下グループです。
同社は2006年からフィギュアスケート支援を開始し、特に当初は注目を集めにくかったペア競技に惜しみなく投資してきました。
木原龍一選手は2013年から、三浦璃来選手はペア結成と同時に同社へ所属。
2020年には京都府宇治市に「木下アカデミー」を設立し、充実した練習環境を整えたのです。
ミラノ五輪での金メダル獲得後には、2人合計で2000万円の特別ボーナスが検討されていると報じられたほどで、その支援の厚さが競技力の土台となっていることは間違いないでしょう!
競技面だけでなく、三浦璃来選手の人間的な魅力も彼女を語るうえで欠かせない要素ですね。
コスメ探しが趣味というかわいらしい一面、木原龍一選手と試合前にゲームで対戦するというユニークなルーティン。
世界王者の緊張をほぐすのがゲームだというのは、なんとも人間らしくて親しみが湧きますね!
三浦璃来の学歴
三浦璃来選手の学歴を振り返ると、競技と学業を両立させるための数々の工夫と選択が見えてきます。
スケート選手という特殊な環境の中で、それでも学業をおろそかにしなかった姿勢は、アスリートとしての一貫した誠実さを示しています。
各ステージでどんな学校生活を送っていたのか、詳しく見ていきたいと思います。
空手を習い始めた小学生時代
三浦璃来選手が通っていた小学校は、地元・兵庫県宝塚市の宝塚小学校とされています。
当時から運動能力は際立っており、スケートを始める傍ら、小学4年生のときには「心を鍛えるため」という明確な目的意識を持って空手道場に通い始めました。
宝塚市内の「龍舞会」に所属し、代表の味地淳夫氏は「優れた運動神経と柔軟性、高い集中力を持ち、すぐに回し蹴りなどの高度な技を習得した」と証言しています。
この空手での経験で磨かれた精神力と身体能力が、のちのフィギュアスケートにおける強靭なパフォーマンスの土台になったと考えると、小学生時代の選択の意味は大きいですね!
トライアウトに参加した中学生時代
小学校卒業後は、地元の宝塚市立御殿山中学校へ進学。
中学時代はキャリア上の大きな転換点で、13歳のときにペア転向のトライアウトへ参加したことがすべての始まりでした。
市橋翔哉選手とペアを結成し、2015年と2016年の全日本選手権ジュニアクラスで2連覇を達成するなど、早くも頭角を現します。
卒業時には「3年間たくさんの遠征があったけど、学校の先生方や友達が支えてくれた」という趣旨の発信をしており、遠征の多いスケーター生活の中で周囲に支えられながら中学生活を乗り越えたことが伝わってきます。
「りくりゅう」結成した高校生時代
高校は大阪府茨木市にある向陽台高等学校(通信制・単位制)に進学。
通信制を選んだ理由は、海外遠征が多いスケーターとしての活動と学業を無理なく並立させるための、現実的かつ賢明な判断だったと言えるでしょう!
週1〜2日の登校で単位を取得できるシステムが、三浦璃来選手の競技ライフスタイルにぴったりはまったのです。
高校時代の戦績も着実で、2017年のメンタートルン杯で優勝を果たし、同年の世界ジュニア選手権にも初出場しました。
そして高校卒業間際の2019年8月、木原龍一選手との新ペア結成が発表されます。
この時期のトライアウトが、のちの日本フィギュア史を塗り替えることになるとは、当時誰も想像していなかったでしょうね!
カナダとの二重生活の大学生時代
大学は愛知県名古屋市の中京大学スポーツ科学部へ進学。
同大学は浅田真央選手や宇野昌磨選手など、多くのオリンピックメダリストを輩出してきたフィギュアスケートの名門校です。
三浦璃来選手はカナダ・トロントを練習拠点としながら日本の大学に通うという、過酷な二重生活を4年間にわたって続けました。
スケート部監督の谷口美菜氏は「カナダと日本の時差に配慮してコミュニケーションを丁寧に取ることが印象的だった。だからこそ木原選手との信頼関係も築けた」と語っており、そのまめな気配りが人としての信頼を積み重ねていたことがわかります。
大学2年次の2022年には北京五輪で団体銀メダルと個人7位入賞を達成し、「4年後も8年後も木原さんと戦いたい」と公言。
その言葉通り、2025年3月に中京大学を卒業した翌年の2026年、ミラノ・コルティナ五輪で金メダルという形で夢を実現させたのです。
大学で学んだスポーツ生理学や栄養学が競技に役立ったとも語っており、文武両道への真剣な姿勢が伝わってきます。
まとめ
三浦璃来選手は、5歳でのスケート開始から始まり、空手で培った精神力、ペアへの転向、そして木原龍一選手との出会いを経て、2026年ミラノ・コルティナ五輪の金メダルという頂点に達しました。
通信制高校の選択やカナダとの二重生活など、常に現実と向き合いながら前進してきたその歩みは、スポーツの枠を超えた感動を与えてくれますね!





