宇野昌磨のwiki経歴と学歴!オリンピックでの活躍から引退までの軌跡を紹介!

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日本フィギュアスケート界を代表するスケーター・宇野昌磨選手の輝かしい軌跡をご存知でしょうか。

オリンピックで3つのメダルを獲得し、世界選手権では日本男子初の2連覇を達成した宇野昌磨選手。

本記事では、彼のwiki経歴と学歴、そしてオリンピックでの活躍から引退までの感動的な軌跡を詳しく紹介します。

幼少期のスケートとの出会いから世界の頂点に立つまでの道のりを、丁寧にお伝えしていきます。

宇野昌磨のwiki経歴

 

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  • 氏名:宇野昌磨(うの しょうま)
  • 生年月日:1997年12月17日
  • 出身地:愛知県名古屋市
  • 身長:158cm
  • 体重:55kg
  • 血液型:B型
  • 所属:トヨタ自動車株式会社
  • コーチ:ステファン・ランビエール(2019年〜)
  • 元コーチ:山田満知子、樋口美穂子
  • 趣味:ゲーム、卓球、ダーツ

宇野昌磨選手は愛知県名古屋市で生まれました。

実は900グラムほどの超低出生体重児として誕生し、幼少期には喘息にも悩まされていたといいます。

身体を強くするために様々なスポーツに挑戦する中で、5歳の時に運命的な出会いを果たします。

宇野昌磨選手のキャリアは、ジュニア時代から世界の注目を集めてきました。

スケートとの出会い

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5歳のある日、宇野昌磨選手は地元のスケートリンクを訪れました。

そこで偶然出会ったのが、当時すでに有名だった浅田真央選手です。

浅田選手に声をかけられたことが、彼のフィギュアスケート人生のスタートとなりました。

その後、浅田選手も指導を受けていた名門・山田満知子コーチに師事することになります。

幼少期は喘息に悩まされていましたが、スケートを通じて徐々に身体も強くなっていきました。

ジュニア時代

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2009年と2010年には全日本ノービス選手権で2連覇を達成

早くも「天才少年」として注目されるようになります。

2012年には第1回冬季ユースオリンピックで銀メダルを獲得

しかし、トリプルアクセルの習得に苦戦し、全日本ジュニア選手権では3位、4位、5位と入賞に留まります…。

「高橋大輔2世」と呼ばれプレッシャーを感じながら、伸び悩みの時期を経験しました。

転機は2014-15年シーズンに訪れます。

アジアフィギュア杯、全日本ジュニア選手権、ジュニアグランプリファイナル、世界ジュニア選手権と、出場した主要大会をすべて制覇

ジュニアグランプリファイナルでは当時の世界歴代最高得点を記録する圧巻の演技を披露したのです。

シニアでの躍進

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2015-16年シーズン、シニアデビューを飾った宇野昌磨選手はグランプリシリーズに初参戦します。

スケートアメリカで2位、フランス大会で優勝という素晴らしい成績を収め、初出場のグランプリファイナルでは銅メダルを獲得

そして2016年、チームチャレンジカップにおいて、ISU公認大会で史上初となる4回転フリップジャンプの成功を成し遂げます。

この偉業はギネス世界記録に認定されました!

2016-17シーズンには全日本選手権で初優勝を飾り、以降2019年まで4連覇を達成

2017年と2018年の世界選手権では2年連続で銀メダルを獲得!

そして2018年平昌オリンピックでは、初出場ながら銀メダルを獲得し、世界トップスケーターとしての地位を確立しました。

試練と新たな挑戦

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平昌オリンピック後、宇野昌磨選手は大きな決断をします。

2019年6月、15年以上指導を受けてきた山田満知子、樋口美穂子両コーチのもとを離れることを発表しました。

約半年間メインコーチ不在でシーズンに臨みますが、グランプリシリーズのフランス杯で8位という結果に…。

キャリア最大の不振を経験。

しかし、この苦境が彼をさらに成長させることになります。

2019年12月、2006年トリノオリンピック銀メダリストのステファン・ランビエールをコーチに迎え、練習拠点をスイスに移します。

同月の全日本選手権では4連覇を達成し、復活の兆しを見せました。

世界の頂点から引退まで

 

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ランビエールコーチとの新たな挑戦は、宇野昌磨選手のキャリアを新次元へと引き上げます。

2022年北京オリンピックでは、団体戦で銀メダル、個人戦で銅メダルを獲得

同年の世界選手権では圧倒的な強さで初優勝を飾ります。

2022-23シーズンはさらに飛躍し、グランプリファイナルで悲願の初優勝を達成

これにより、主要4大会すべてで優勝する「キャリアグランドスラム」を成し遂げました。

シーズンを締めくくる世界選手権では、ショートプログラムでの出遅れをフリーで逆転し、日本男子史上初となる2連覇を達成

2023-24シーズンも全日本選手権で通算6度目の優勝を飾りましたが、2024年世界選手権が最後の舞台となりました。

2024年5月9日、自身のインスタグラムを通じて現役引退を発表。

26歳という若さでの決断でしたが、プロスケーターとしての新たなキャリアをスタートさせています。

宇野昌磨の功績と記録

ここでは宇野昌昌磨選手の功績と記録について詳しく見た行きたいと思います。

主要国際大会でのメダル獲得数

大会名 合計
オリンピック(個人) 0 1 1 2
オリンピック(団体) 0 1 0 1
世界選手権 2 2 0 4
四大陸選手権 1 1 1 3
グランプリファイナル 1 3 2 6
合計 4 8 4 16

宇野昌磨選手は、シニアクラスでの主要国際大会だけで16個のメダルを獲得しています。

特にオリンピックでは3つのメダルを獲得し、これは日本のフィギュアスケート選手として史上初の快挙です。

記録

歴史的偉業

  • ISU公認大会で史上初の4回転フリップ成功(2016年):ギネス世界記録認定
  • 日本男子史上初の世界選手権2連覇(2022年、2023年)
  • キャリアグランドスラム達成(主要4大会すべてで優勝)
  • 日本フィギュアスケート選手史上初のオリンピックメダル3個獲得

元世界記録保持者

  • ジュニア男子:ショートプログラム84.87点、フリー163.06点、合計238.27点
  • シニア男子:ショートプログラム104.15点、フリー197.36点、合計276.20点(+5/-5 GOEシステム後)

ISUパーソナルベストスコア

  • 合計:312.48点(2022年世界選手権)
  • ショートプログラム:109.63点(2022年世界選手権)
  • フリースケーティング:204.47点(2022年グランプリファイナル)

宇野昌磨の学歴

宇野昌磨選手の学生時代について詳しくみていきたいと思います。

小学生時代

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名古屋市立山吹小学校に通っていた宇野選手は、5歳でスケートを始めてから頭角を現します。

小学校4年生から6年生までの間に全日本ノービス選手権で4連覇を達成しました。

10歳で「スケートコペンハーゲン」に出場し、海外大会にも挑戦するなど、小学生時代から国際経験を積んでいきます。

小学生らしくゲームが好きで、勉強はあまり得意ではなかったそうですよ…。

中学生時代

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名古屋市立冨士中学校に進学した宇野昌磨選手は、ジュニアの国際大会に出場し始めます。

中学校時代はスケート中心の生活を送り、学校にはあまり通えませんでした…。

友人関係は少なかったものの、スケートリンクでの仲間との交流が深かったそうです。

トリプルアクセルの習得に苦戦する日々。

全日本ジュニア選手権では中学1年生で3位、2年生で4位、3年生で5位と、期待されながらも伸び悩みを経験します。

高校生時代

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高校は中京大学附属中京高等学校に進学し、2015年3月に卒業しました。

スケート部に所属し、数々の国際大会で実績を残していきます。

高校時代が最も練習量が多く、筋力トレーニングやバレエ、リンクでの練習を徹底的に行ったといいます。

この時期に声変わりを経験し、内面的にも大きく成長しました。

高校生活について「楽しい3年間だった」と振り返っており、スケートと学業を両立させながら充実した日々を過ごしたようです。

大学時代

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2016年4月に中京大学スポーツ科学部に入学し、スポーツ科学を学びます。

大学在学中には平昌オリンピック(2018年)で銀メダル、北京オリンピック(2022年)で銅メダルを獲得しました!

しかし、競技に専念するため大学を中退する決断をします。

大学時代の経験は内面的な成長に繋がり、大舞台でのメディア対応にも自信を持つようになったといいます。

まとめ

宇野昌磨選手は、5歳でスケートと出会ってから引退まで、常に挑戦し続けたアスリートでした。

オリンピック3つのメダル獲得、世界選手権2連覇、キャリアグランドスラム達成など、数々の偉業を成し遂げています。

wiki経歴と学歴を振り返ると、幼少期からの努力と、コーチ変更などの試練を乗り越えてきた強さが光ります。

引退後はプロスケーターとして新たな道を歩む宇野選手の今後の活躍にも期待が高まります。