スノーボード界で注目を集める木村葵来選手は、ムラサキスポーツ所属のプロライダーとして世界の頂点を極めました。
2023/24シーズンには世界ランキング1位を獲得し、2026年ミラノ・コルティナ五輪での金メダル獲得が大いに期待されています。
岡山県出身という雪国ではない環境から世界トップレベルへと駆け上がった彼の軌跡は、多くの若者に勇気を与えています。
本記事では、木村葵来選手のwiki風プロフィールから経歴、そして学歴までを詳しくご紹介します。
Contents
木村葵来のwiki経歴
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木村葵来選手は、岡山県から世界トップレベルへと駆け上がった若きアスリートです。
ビッグエアとスロープスタイルを専門とし、2023/24シーズンにはFISワールドカップのビッグエア種目別総合優勝を達成しました。
21歳にしてこれほどの実績を持つ選手は、日本スノーボード界の未来を背負う存在でしょう。
名前の由来
木村葵来選手の「葵来(きら)」という個性的な名前は、人気アニメ『機動戦士ガンダムSEED』の主人公「キラ・ヤマト」から取られたとされています。
2004年頃にヒットしたこの作品から名付けられたという背景は、ご両親のユニークなセンスを感じさせますね。
この珍しい名前は木村葵来選手の実力とともに注目を集める要素となっており、メディアでも印象に残りやすい魅力的な名前となっています。
スノーボードとの出会いと競技への道
木村葵来選手がスノーボードと出会ったのは3歳の頃でした。
スノーボード好きのお父様が鳥取県の奥大山スキー場に連れて行ったことがきっかけです。
岡山県出身でありながら、冬には家族で定期的にスキー場を訪れる生活を送っていました。
本格的な競技者への道を志すきっかけは、小学1年生の時に観た2014年ソチオリンピックでした。
スロープスタイルが初めて正式種目となったこの大会で、セージ・コッツェンバーグ選手の革新的な滑りに衝撃を受けます。
「自分もあの舞台に立ちたい」という憧れが芽生えたのです。
中学1年生から本格的に大会出場を開始し、オフシーズンには大阪の練習施設「大阪KINGS」でトレーニングを積みました。
また、5歳から中学まで体操競技にも取り組んでおり、この経験が現在の空中感覚と身体能力の基礎となっています。
そして中学2年生でプロ資格を取得するという快挙を成し遂げました。
競技スタイルと技術的進化
木村葵来選手が主戦場とするのは「ビッグエア」と「スロープスタイル」です。
ビッグエアは巨大なジャンプ台から飛び出し空中技を競う種目で、スロープスタイルは複数の障害物があるコースを滑りながらトリックを組み合わせる競技となります。
最大の武器は超高難度の回転技を決める技術力です。
印象的だったのが2023年12月の北京ワールドカップ決勝での滑りでしょう。
2本目で転倒し後がない状況で、3本目に雪上では未成功だった大技「Switch Backside 1980」(5回転半)に挑戦し、見事に成功させたのです。
この挑戦精神が世界トップレベルへと押し上げた原動力ですね。
「常に昨日の自分を超えていきたい」という言葉通り、木村葵来選手は進化の速いフリースタイル界で最先端を走り続けています。
主な戦績とキャリアの軌跡
2023年1月のワールドカップデビュー戦で3位に入賞し、一躍注目の的となりました。当時18歳という若さでの快挙です。
2023/24シーズンは飛躍の年でした。主な成績は以下の通りです。
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これらの好成績により、ビッグエア種目別総合優勝とWorld Snowboardランキング1位を獲得しました。
しかし2024/25シーズン終盤の世界選手権では予選敗退という厳しい結果に。
深く悩んだ時期もありましたが、持ち前のポジティブさで立ち直ります。
2025年12月のワールドカップで準優勝し、2026年ミラノ・コルティナ五輪代表に内定しました。
2026年2月の五輪ビッグエア予選では173.25点で3位通過を果たしています。
木村葵来の学歴
木村葵来選手の学生時代について、各時期の成長の様子を見ていきます。
小学生時代
木村葵来選手は岡山市立吉備小学校で学びました。
この時期はスノーボードを純粋に楽しみながら、週末には家族で鳥取のスキー場を訪れる日々を過ごしていました。
小学校では体操競技にも取り組んでおり、バク転やバク宙などの技術が後のスノーボードでの空中動作の基礎となりました。
小学1年生でソチオリンピックを観戦したことが人生の転機となり、「いつか自分も」という夢を抱いた瞬間は彼のアスリート人生の原点です。
中学生時代
岡山市立吉備中学校に進学した木村葵来選手は、競技者としての活動を本格化させます。
オフシーズンには大阪のトレーニング施設まで通い、学校の課題をこなしながら週末や休暇を利用してトレーニングに励む日々でした。
岡山から大阪まで数時間かけて通う生活は、並大抵の覚悟ではできません。
中学2年生でプロ資格を取得したことは、才能と努力の結晶でした。
通常は高校生以降にプロ転向する選手が多い中、中学生でのプロ入りは極めて異例です。
アスリートとしての基盤を固めると同時に、メンタル面でも大きく成長した時期だったと言えるでしょう。
高校生時代
倉敷翠松高等学校に進学した木村葵来選手は、この3年間で飛躍的な成長を遂げます。
高校生活と国内外の大会出場を両立させる多忙な日々を送りました。
2021年にはFIS Big Air Japan Cupで優勝、2022年にはJapan Slopestyle Open NISEKO HANAZONOで2種目優勝を達成しています。
そして高校3年生の2023年1月、ワールドカップデビュー戦で3位という結果は世界を驚かせました。
高校生という年齢で世界のトップ選手と互角に戦える実力を証明したのです。
倉敷翠松高等学校からは、高橋大輔さんや町田樹さんに続く4人目のオリンピアンとなり、母校の誇りとなりました。
弟の悠斗選手も同じ高校に在籍しており、兄弟で世界を目指す姿は素晴らしいですね。
大学生時代
高校卒業後、木村葵来選手は中京大学スポーツ科学部に進学しました。
宇野昌磨選手など多くのトップアスリートを輩出してきた名門です。
スポーツ科学部では、トレーニング理論やスポーツ栄養学など、競技向上に直結する知識を学べます。
大学1年生の2024年1月にはワールドカップ総合優勝を達成し、大学側も公式サイトで祝福しました。
現在は競技に専念するため休学中ですが、世界を転戦しながら学業も大切にする姿勢は、多くの若者の手本となっています。
中京大学豊田キャンパスのある豊田市からは「豊田市わがまちアスリート」に認定され、地域との絆も大切にしているのが伝わってきます。
まとめ
木村葵来選手のwiki経歴と学歴を詳しく見てきました。
岡山県という雪国でない環境から世界ランキング1位に到達した道のりは、努力と才能の結晶と言えます。
ムラサキスポーツ所属として世界を驚かせ続け、吉備小学校から中京大学へと続く学びの道も彼の成長を支えてきました。
中学2年でプロ転向という早期デビューから、挫折を乗り越えての五輪出場まで、その歩みは感動的です。
2026年ミラノ・コルティナ五輪での金メダル獲得が期待される木村葵来選手から、今後も目が離せませんね!



