日本のスピードスケート界に輝く高木美帆選手は、女子1500mの世界記録を保持する金メダリストとして知られています。
オリンピックで7個のメダルを獲得した高木美帆選手のwiki経歴と学歴について詳しく見ていきましょう。
15歳でのオリンピックデビューから現在に至るまで、高木美帆選手がどのような道を歩んできたのか、その軌跡をご紹介します。
Contents
高木美帆のwiki経歴
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高木美帆選手は1994年北海道幕別町で生まれました。
5歳からスケートを始め、幼少期からずば抜けた運動能力を発揮してきた選手です。
姉の菜那選手も同じくスピードスケート選手として活躍しており、兄の大輔さんを含めた3人きょうだい全員がスケート選手という稀有な家族環境で育ちました。
2023年からはTOKIOインカラミに所属し、新たな環境で競技に取り組んでいます。
高木美帆選手のオリンピック経歴は、まさに日本スピードスケート史を塗り替える偉業の連続でした。
これまでに3度のオリンピックに出場し、合計7個のメダルを獲得しています。
この記録は日本女子選手として夏冬通じて歴代最多という素晴らしいものです。
バンクーバーオリンピック2010
2010年のバンクーバー大会は、高木美帆選手にとって記念すべきオリンピックデビューの舞台となりました。
当時わずか15歳という若さでの出場は「スーパー中学生」として大きな話題を呼びます。
代表選考会では女子1500mで優勝を果たし、1000mでも中学新記録を樹立しての選出でした。
本大会では1000mで35位、1500mで23位という結果に終わります。
しかし世界最高峰の舞台を経験したことは、その後の成長に大きく影響を与えました。
当時の経験について高木美帆選手は、まだ自分の力不足を痛感したと振り返っています。
ソチオリンピック2014
2014年のソチ大会は、高木美帆選手にとって試練の年となりました。
2012年と2013年には世界ジュニア選手権で2連覇を達成するなど好調を維持していたのですが、肝心の代表選考会で表彰台を逃してしまいます。
結果として代表入りを果たせず、オリンピックに出場できませんでした。
この挫折が高木美帆選手を大きく変えることになります。
兄の大輔さんから「ソチに向かってやり切ったと言えるか」と問われたとき、涙があふれたそうです。
自分の甘さを痛感し、トレーニング方法を根本から見直す決意を固めました。
平昌オリンピック2018
ソチ落選から4年、高木美帆選手は驚異的な成長を遂げて平昌の舞台に帰ってきました。
この大会では金・銀・銅すべてのメダルを獲得するという快挙を成し遂げます。
チームパシュートでは姉の菜那選手らと共にオリンピックレコードで金メダルを獲得しました。
得意の1500mでは銀メダル、1000mでは銅メダルを手にします。
1つの大会で異なる色のメダルをすべて獲得する偉業は、高木美帆選手の実力を世界に知らしめるものでした。
この結果により、日本スピードスケート界のエースとしての地位を確立しています。
北京オリンピック2022
2022年の北京大会では、日本選手団主将という重責を担いました。
プレッシャーのかかる立場でありながら、高木美帆選手は圧巻のパフォーマンスを披露します。
1000mでは1分13秒19というオリンピック新記録を樹立し、個人種目初の金メダルを獲得しました。
さらに500m、1500m、チームパシュートで銀メダルを獲得し、1大会で4個のメダルを手にしています。
この記録は冬季オリンピックにおける日本人選手最多となりました。
5種目という過酷なプログラムをこなしながらの快挙は、高木美帆選手の圧倒的な実力を証明するものです。
世界記録・日本記録
高木美帆選手が保持する記録は、その実力を物語っています。
女子1500mでは1分49秒83という世界記録を2019年にソルトレイクシティで樹立しました。
この記録は現在も破られていません。
また1000mの日本記録1分11秒71、3000mの日本記録3分55秒45も保持しています。
チームパシュートでも世界記録を持っており、まさに中長距離のスペシャリストと言えるでしょう。
これらの記録は、高木美帆選手の技術力の高さと持久力を示すものです。
世界記録を持ちながら、さらなる高みを目指し続ける姿勢には頭が下がります。
主要国際大会での成績
オリンピック以外の舞台でも、高木美帆選手は輝かしい実績を残しています。
2018年の世界オールラウンド選手権では、日本人として初めて総合優勝を達成しました。
2020年には世界スプリント選手権でも総合優勝を果たし、両大会を制した初の日本人選手となります。
世界距離別選手権では、2024年にカルガリーで1000mと1500mの2冠を達成しました。
ISUワールドカップでも通算勝利数を日本勢歴代最多に更新し続けています。
これほど多くのタイトルを獲得してきた高木美帆選手の安定感は、まさに世界トップクラスの証です。
高木美帆の学歴
高木美帆選手の学歴を辿ると、天才少女が世界のトップアスリートへと成長していく過程が見えてきます。
それぞれの学校生活で様々な経験を積み重ね、現在の高木美帆選手が形作られました。
小学生時代
高木美帆選手は幕別町立札内北小学校に通っていました。
小学校時代から既にその才能は際立っており、「スケートも走るのも男子より速かった」と評されるほどの運動能力を持っていたそうです。
サッカーや陸上など様々なスポーツにも取り組み、小学1年生からはヒップホップダンスも始めています。
特に小学5年生のときにスケートチームを変わったことが大きな転機となりました。
新しいチームで出会った指導者からの教えが、その後のスケート人生の基礎を築いたと高木美帆選手は語っています。
多様な運動経験が、後のオールラウンダーとしての素地を形成したと考えられるでしょう。
中学生時代
幕別町立札内中学校に進学した高木美帆選手は、中学時代に日本スピードスケート史上初となる快挙を成し遂げます。
驚くべきことに、中学時代はスケートだけでなくサッカー部にも所属していました。
サッカーでは15歳以下日本代表候補に選ばれるほどの実力を持っており、まさに二刀流の活躍です。
そして中学3年生だった2009年、バンクーバーオリンピック代表選考会で優勝を果たします。
15歳という若さでの五輪代表入りは「スーパー中学生」として大きな注目を集めました。
世界の舞台を経験した中学生は、その後さらなる成長を遂げていきます。
高校生時代
2010年に北海道帯広南商業高等学校に進学した高木美帆選手は、恩師である東出俊一監督の下で3年間を過ごしました。
東出監督は高木美帆選手を「100年に一度の選手」と評価し、その才能を高く評価していたそうです。
高校時代の特徴は、短・中・長距離すべての種目に出場し続けたことでした。
年間60レース以上という過密スケジュールをこなしながら、どの種目でも高いレベルを維持します。
文化祭ではヒップホップダンスを披露するなど、学校生活も充実していました。
しかし2013年のソチ五輪代表選考では落選という挫折を経験し、この悔しさが次のステップへの原動力となります。
大学生時代
2013年に日本体育大学体育学部体育学科に進学した高木美帆選手は、ソチ落選からの再起を図りました。
実業団からの誘いもありましたが、「私らしくないんじゃないか」と悩んだ末に大学進学を選択します。
恩師の東出監督が将来の選択肢を広げてほしいと提案したことも、決断の後押しとなりました。
大学時代は食生活を見直し、スイーツ断ちを決めるなど自己改革に取り組みます。
氷上トレーニングに加え、陸上でのフィジカル強化にも本格的に着手しました。
この4年間の努力が、平昌オリンピックでの3個のメダル獲得という結果につながっています。
2017年卒業後も助手・職員として在籍し、2023年まで合計10年間日体大に所属していました。
まとめ
高木美帆選手のwiki経歴と学歴を見てきましたが、15歳での五輪デビューから現在まで、まさに栄光と挫折の連続でした。
女子1500mの世界記録保持者として、そしてオリンピック7個のメダルを獲得した金メダリストとして、日本スピードスケート界の歴史に名を刻んでいます。
ソチ落選という挫折を乗り越え、世界の頂点に立ち続ける姿は多くの人に感動を与えてきました。
今後のミラノ・コルティナ2026に向けた挑戦にも、大きな期待が寄せられています。





