ベトナム戦争の枯葉剤被害という悲劇的な歴史の中で、兄のベトさんと共に結合双生児として生まれたグエン・ドクさん。
彼が現在、どのような家庭を築いているかご存知でしょうか。
グエン・ドクの家族構成は妻と男女双子の兄妹の4人家族です。
平和への願いを込めた映画化と子供の名前の由来には、日本との深い絆が隠されていました。
本記事では、困難を乗り越え父親として強く生きるドクさんの現在と、家族への愛について詳しくご紹介します。
Contents
グエン・ドクの家族構成
グエン・ドクさんは現在、ベトナムのホーチミン市で暮らしており、温かい家庭を築いています。
彼の家族構成は、最愛の妻と、元気いっぱいに育つ男女の双子の子供たちの4人家族です。
さらに、同居家族として闘病中の義理の母(妻の母)も一緒に暮らしており、ドクさんは一家の大黒柱として、この大家族を支えています。
かつて兄のベトさんと体が繋がっていたドクさんが、分離手術を経て個としての人生を歩み、こうして新しい命を育んでいる事実に、私は胸が熱くなるのを感じます。
彼の生活は決して楽なものではありませんが、亡き兄ベトさんの犠牲の上に今の自分があるという感謝を胸に、家族と共に懸命に生きているのです。
戦争の傷跡を背負いながらも、「家族」という希望の光を守り抜く彼の姿は、私たちに生きる意味を問いかけているようです。
妻・グエン・ティ・タイン・テュエン
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ドクさんの人生を語る上で欠かせないのが、妻であるグエン・ティ・タイン・テュエンさんの存在です。
二人が結婚したのは2006年12月16日のことでした。
出会いのきっかけはボランティア活動だったそうです。
ドクさんは、彼女の家庭的で家族を何よりも大切にする人柄に強く惹かれ、人生のパートナーとして選んだと語っています。
結婚から18年(2024年時点)が経過した今も、テュエンさんはドクさんにとってなくてはならない存在です。
彼女は家庭を守る要として、二人の子供の育児はもちろんのこと、ステージ4のがんと糖尿病を患う実母(ドクさんの義母)の介護も献身的にこなしています。
自身の母親のケアと夫のサポート、そして子育てを一手に引き受ける彼女の強さと優しさには、ただただ頭が下がる思いです。
男女双子の兄妹
結婚から約3年後の2009年10月25日、ドクさん夫妻には待望の赤ちゃんが誕生しました。
ホーチミン市のツーズー病院で生まれたのは、可愛らしい男女の双子の兄妹です。
人工授精によって授かったこの尊い命は、ドクさんにとって生きる希望そのものでしょう。
2024年現在、子供たちは15歳になり、高校受験を控える年齢にまで成長しました。
ドクさんは自身の障害にも関わらず、片足で器用に三輪バイクを運転し、子供たちの学校や塾への送り迎えをこなしているそうです。
身体的なハンディキャップを感じさせない、父としての深い愛情と責任感に心を打たれます。
名前の由来
双子の子供たちの名前には、ドクさんの「ある国」への特別な思いが込められています。
それは、私たちの国「日本」です。
親日家であるドクさんは、自身と兄の分離手術や、その後の長きにわたる支援をしてくれた日本への深い感謝を表すために、日本の象徴的な存在から名前をとりました。
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日本人の私たちにとって、これほど嬉しいことはありません。
国境を越えた絆が、子供たちの名前として刻まれていることに深く感動します。
名前に込められた思い
単に日本の言葉を選んだだけではありません。 そこには、父親としての切なる願いが込められています。
長男の「フーシー(富士)」という名前には、「男の子として、富士山のように困難を克服する力強さを持ってほしい」という願いが託されています。
日本一の山のように堂々と、逆境に負けない強い心を持ってほしいという父の祈りでしょう。
一方、長女の「アンダオ(桜)」には、「女の子として、桜のように美しくしとやかに育ってほしい」という思いが込められています。
日本を象徴する花である桜のように、周囲に愛され、優しさを持つ女性になってほしいという願いです。
また、これらの名前は平和への祈りでもあります。
戦後の平和国家として歩んだ日本の象徴を名前にすることで、戦争の悲劇を二度と繰り返さないというメッセージを次世代に託しているのかもしれません。
映画『ドクちゃん ―フジとサクラにつなぐ愛―』
グエン・ドクさんとその家族の「今」を追ったドキュメンタリー映画『ドクちゃん ―フジとサクラにつなぐ愛―』が、2024年5月3日に日本で公開されました。
この映画は、日越外交関係樹立50周年、そしてあの大手術から35年という節目の年を記念して制作されたものです。
映画が描く家族の姿
川畑耕平監督がメガホンをとったこの映画では、私たちが教科書やニュースで知る「歴史上の人物」としてのドクさんではなく、一人の夫であり、父親である「人間・ドクさん」の姿が映し出されています。
スクリーンに映るのは、43歳になったドクさんのありのままの日常です。
排尿バッグを装着し、自身の健康不安と闘いながらも、家族のために働く姿。 そして、双子の子供たち、フジくんとサクラちゃんの成長を見守る優しい眼差しが描かれています。
特に印象的なのは、子供たちがドクさんの誕生日をお祝いするシーンではないでしょうか。
子供たちからのメッセージを受け取り、ドクさんが涙をぬぐう場面は、見る者の涙を誘います。
そこには、障害や戦争の影を感じさせない、どこにでもある温かい家族の愛が存在していました。
映画のテーマとメッセージ
この映画の核となるテーマは「平和」と「生きる力」です。
ドクさんは映画の中で、「人生のチャレンジの1つは生きること。2つ目は生き続けること」と語っています。
この言葉には、数多の手術と困難を乗り越えてきた彼だからこその重みがあります。
また、映画は「それでも戦争をしますか」という問いを静かに、しかし力強く観客に投げかけています。
枯葉剤を使用した国をただ非難するのではなく、被害を受けた一人の人間が、それでも前を向いて家族を愛し生きる姿を見せることで、逆説的に戦争の愚かさを訴えているのです。
ドクさんは自身の体の中に、亡き兄ベトさんが今も生きていると感じています。
「私の人生は兄の犠牲の上で成り立っている」という彼の思いは、平和の語り部としての使命感に繋がっているのでしょう。
映画制作の背景
本作の制作にあたっては、クラウドファンディングを通じて多くの支援が集まりました。
撮影は2023年2月から8月にかけて日本とベトナムの両国でロケが敢行されています。
音楽を担当したのは原摩利彦氏です。
彼の音楽が、ドクさんの笑顔と、子供たちのさらに明るい笑顔を優しく包み込み、ドキュメンタリーとしての質を高めています。
プロデューサーのリントン貴絵ルース氏など、長年ドクさんと平和活動を共にしてきたスタッフたちが支え、作られたこの映画は、単なる記録映像を超えた「未来への遺産」と言えるでしょう。
グエン・ドクの教育方針
ドクさんの子供たちへの教育方針は、自身の過酷な体験に基づいた非常に現実的で愛情深いものです。
彼が何よりも最優先にしていること、それは「まずは元気に育ってほしい」ということです。
自身が生まれながらにして重い障害を抱え、今も健康面での不安と隣り合わせで生きているからこそ、子供たちの健康こそが最大の宝だと感じているのでしょう。
その上で、「しっかり勉強して、安定した生活を送れるようになってほしい」と願っています。
経済的な自立を重視するのは、親として当然の願いですが、苦労を重ねてきたドクさんの言葉だとより一層響きます。
また、ドクさんは子供たちに日本への関心を持たせており、機会があれば日本で勉強してほしいという希望も持っています。
平和教育にも熱心で、自身のありのままの姿や、戦争証跡博物館を見せることで、子供たちに自分たちのルーツと平和の尊さを伝えています。
隠すことなく全てをさらけ出す姿勢こそが、子供たちへの何よりの教育となっているのかもしれません。
グエン・ドクの家族の生活と経済環境
華やかな映画化の裏で、ドクさん一家の生活は経済的に非常に厳しい状況にあります。
ドクさんは病院の事務員(公務員)として働いていますが、その月収は日本円にして約3万円程度だといいます。
物価の安いベトナムといえども、4人の家族と闘病中の義母を養うにはあまりに少ない金額です。
そのため、ドクさんは休日を返上して副業に励んでいます。
自身の体調も万全ではなく、腎臓の不調や度重なる手術のリスクを抱え、「この先もう長くないかもしれない」という不安の中で、家族のために働き続けているのです。
さらに、同居する義母はステージ4のがんと糖尿病を患っており、その医療費や介護の負担も重くのしかかっています。
それでもドクさんは、「周りを見れば自分より困っている人がいる」と語り、東日本大震災の被災地支援やコロナ禍でのマスク寄付など、他者への奉仕を忘れません。
自分の苦境を言い訳にせず、他者を思いやる彼の高潔な精神には、尊敬の念を抱かずにはいられません。
まとめ
本記事では、グエン・ドクさんの家族構成や子供たちの名前の由来、そして映画化についてご紹介しました。
- 家族構成:妻テュエンさん、双子の兄妹(フジ・サクラ)、義母の5人で暮らしています。
- 名前の由来:長男は富士山から「フーシー」、長女は桜から「アンダオ」。日本への感謝と平和への願いが込められています。
- 映画:『ドクちゃん ―フジとサクラにつなぐ愛―』では、困難の中でも笑顔を絶やさない父としてのドクさんの姿が描かれています。
- 生活:月収約3万円という厳しい経済状況や健康不安の中でも、家族のため、平和のために懸命に生きています。
かつて「ベトちゃんドクちゃん」として知られた彼は、今や立派な父親となり、私たちに「生きる勇気」を与えてくれています。
彼の平和への思いが、子供たちの世代、そしてその次の世代へと受け継がれていくことを願ってやみません。




