横田慎太郎さんの背番号「24」は、阪神タイガースファンにとって特別な意味を持つ番号です。
チームからの期待と不屈の精神が込められたこの背番号は、2023年に阪神が日本一を達成した際、仲間たちの手で高々と掲げられました。
その感動的な光景は、横田慎太郎さんがチームと共に舞った瞬間でした。
本記事では、横田慎太郎さんの背番号について詳しく紹介していきます。
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横田慎太郎の背番号
横田慎太郎さんがプロ生活で背負った背番号は、主に「24」と「124」です。
それぞれの番号には深い意味が込められており、彼の野球人生を象徴するものとなっています。
背番号「24」の継承と期待
横田慎太郎さんが2013年に入団した際、与えられたのが背番号「24」でした。
この番号は、球団が寄せる大きな期待の証です。
背番号「24」は、その年に引退した桧山進次郎さんが22年間着用した番号でした。
「代打の神様」として知られる桧山進次郎さんの番号を高卒ルーキーに託したことは、期待の大きさを物語ります。
横田慎太郎さんは2019年の引退までこの背番号を背負い続けました。
闘病と背番号「124」への変更
2017年の春季キャンプ中、横田慎太郎さんは脳腫瘍と診断されました。
18時間の大手術を受け、2018年に育成選手として契約。
背番号は「124」に変更されました。
阪神球団は、横田慎太郎さんが支配下登録選手として復帰するまで、背番号「24」を空き番号として扱うという方針を示します。
懸命なリハビリを続けましたが、視力低下などの後遺症により2019年に引退を決断しました。
引退試合では1096日ぶりにセンターの守備に就き、ほとんど見えない視力の中でダイレクト送球を披露する「奇跡のバックホーム」を見せました。
ファンの心の中では永遠に「背番号24」の横田慎太郎さんでした。
チームと共に舞った横田慎太郎の背番号「24」
2023年7月18日、横田慎太郎さんは28歳の若さでこの世を去りました。
その約2ヶ月後の9月14日、阪神は18年ぶりのリーグ優勝を果たします。
優勝を決めた9回、同期入団の岩崎優投手がマウンドに立ちました。
岩崎投手は、横田慎太郎さんが闘病中に心の支えにしていたゆずの「栄光の架橋」を登場曲に選びます。
甲子園のファンが大合唱し、球場全体が横田慎太郎さんへの思いで包まれました。
優勝が決まった瞬間、岩崎投手の手には背番号「24」のユニフォームが握られていました。
胴上げと共に、背番号「24」は3度、夜空高く舞ったのです。
11月5日の日本一達成の際も、背番号「24」のユニフォームが掲げられました。
横田慎太郎さんはチームと共に栄光を掴んだのです!
阪神タイガースの背番号「24」とは?
阪神タイガースの背番号「24」は、多くの選手が着用してきた歴史ある番号です。
戦前から本堂保次さんが着用し、遠井吾郎さんが16年間背負うなど長い歴史を持ちます。
1992年には桧山進次郎さんが入団から引退まで22年間着用しました。
「代打の神様」として阪神を支えた桧山進次郎さんにより、背番号「24」は特別な番号となります。
その桧山進次郎さんから背番号を受け継いだのが横田慎太郎さんです。
横田慎太郎さんの引退後も複数の選手が着用し、2025年には工藤泰成投手が背番号「24」を背負っています。
桧山進次郎さんと横田慎太郎さんという2人のレジェンドによって、阪神ファンの心に特別な意味を持つ番号なったのですね。
まとめ
横田慎太郎さんの背番号「24」は、球団の期待と不屈の精神が込められた番号でした。
桧山進次郎さんから受け継いだこの番号を通じて、横田慎太郎さんは多くの人々に勇気と希望を与えてくれました。
2023年の優勝と日本一の瞬間、チームメイトの手で掲げられた背番号「24」のユニフォームは、横田慎太郎さんがチームと共に戦い続けていることを示す感動的な光景に。
背番号「24」は、これからも横田慎太郎さんの魂と共にあり続けることでしょう!






