映画『栄光のバックホーム』で主演を務めた松谷鷹也さんが、今注目を集めています。
元プロ野球選手の父を持ち、自身も学法福島高校で活躍した松谷鷹也さんは、高校時代に大谷翔平選手との対戦経験を持つ元野球選手です。
肩の故障で野球人生に終止符を打った後、俳優へと転身し、ついに主演映画に抜擢されました。
今回は、松谷鷹也さんのwiki経歴と学歴について詳しく紹介していきます。
Contents
松谷鷹也のwiki経歴
松谷鷹也さんは、野球選手としての道を断念した後、俳優という新たな夢に向かって歩み始めました。
現在では映画界で注目される存在となっています。
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俳優への道
松谷鷹也さんが俳優めざすきっかけになったのは、兄に勧められて観た特撮ドラマ『仮面ライダーカブト』でした。
ヒーローの姿に「役者も誰かの背中を押せる仕事だ」と感銘を受けたのです。
幼い頃に野球選手が人を勇気づける姿に感動してプロ野球選手を目指したように、俳優も同じように人の背中を押せる仕事だと気づきました。
「プロ野球選手になりたかった理由と、今、俳優で頑張っていたい理由はつながっている」という松谷鷹也さんの言葉は、彼の人生哲学を表していますね!
その後、185cmという長身を活かしてモデル活動を開始。
運送業や引っ越しのアルバイトで生計を立てながら、俳優としての下積み生活をスタートさせました。
2016年頃から本格的に俳優活動を始め、2017年には映画『HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY』および『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』に出演。
大きな転機となったのは2020年10月、映画監督の秋山純氏が主宰するワークショップへの参加でした。
そこで演技だけでなく、制作進行や助監督といった裏方の仕事も経験し、映画製作を多角的に学びます。
この経験が、後の主演抜擢へとつながっていくのです!
主演映画『栄光のバックホーム』
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2025年11月28日に公開された映画『栄光のバックホーム』で、松谷鷹也さんは主演の横田慎太郎役に大抜擢されました。
横田慎太郎さんは元阪神タイガースの外野手で、2017年に脳腫瘍を発症し、2019年に引退、2023年7月に28歳という若さで亡くなった実在の人物。
この大役を演じるにあたり、松谷鷹也さんは徹底した役作りに臨みました。
10年ぶりにグラブを握り、広島県福山市の社会人硬式野球チーム「福山ローズファイターズ」に練習生として参加します。
筋力トレーニングと食事改善に励み、体重を20kg増量して94kgまでビルドアップしたのです。
この努力には本当に頭が下がりますね。
さらに感動的なのは、松谷鷹也さんと横田慎太郎さんとの交流です。
2021年夏からオンラインで交流を始め、共にプロ野球選手の父を持つという共通点もあってすぐに打ち解けました。
横田慎太郎さんは自身が使っていたグラブを松谷鷹也さんに贈り、2022年春に鹿児島で初対面した際、松谷鷹也さんはそのグラブを持参して訪れています。
闘病中にもかかわらず「今度は自分が人を支えたい」と語る横田慎太郎さんの人柄に深く感銘を受けた松谷鷹也さんは、その後も彼のもとへ通い続けました。
このグラブは松谷鷹也さんにとってお守りのような存在となり、撮影現場はもちろん、東京国際映画祭のレッドカーペットや舞台挨拶でも常に手にしました。
映画での鬼気迫る演技は高く評価され、松谷鷹也さんは第50回報知映画賞の新人賞を受賞。
この受賞を機に注目度は急上昇し、2025年12月9日には『徹子の部屋』に出演するなど、メディア露出も増加しています。
横田慎太郎さんの思いを受け継ぎ、見事に演じ切った松谷鷹也さんの姿勢には心から敬意を表したいですね。
主な出演作品
松谷鷹也さんは、これまでに多くの映画作品に出演してきました。
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これらの作品に加え、ドラマやバラエティ番組の再現ドラマ、舞台などにも出演しています。
下積み時代から着実にキャリアを積み重ね、ついに主演映画で大きな評価を獲得したのです。
松谷鷹也の学歴
松谷鷹也さんの学生時代は、野球への情熱と挫折、そして再起という波乱に満ちたものでした。
各時期における経験が、現在の俳優・松谷鷹也さんを形成する基盤となっています。
小学生時代
松谷鷹也さんは神奈川県内の小学校に通い、小学2年生で野球を始めました。
元読売ジャイアンツ投手の父・松谷竜二郎氏と、4歳年上の兄に憧れての決断でした。
幼い頃から野球に親しみ、プロ野球選手になることを夢見て育ちます。
特に印象的だったのは、病気の子供が野球選手に励まされて手術を決意する映像を見たことです。
「プロ野球選手は人を勇気づけられる仕事だ」と強く感じたこの経験が、松谷鷹也さんの人生の指針となりました。
この時の気持ちが、後に俳優を目指すきっかけにもつながっていくのですから、人生とは不思議なものですね。
中学生時代
中学時代は青葉緑東リトルシニアに所属し、硬式野球でプレーするようになります。
神奈川県内の中学校に通いながら、本格的に野球に打ち込む日々を送りました。
この時期の活躍が、後に野球の強豪校である学法福島高校の藤森孝広監督の目に留まることになります。
中学生の段階で実力が認められ、福島県の強豪校からスカウトを受けるというのは、松谷鷹也さんの野球の才能がいかに優れていたかを物語っています。
将来を嘱望される選手だったのでしょうね!
高校生時代
藤森孝広監督に誘われ、松谷鷹也さんは学校法人松韻学園福島高等学校(学法福島)に進学。
神奈川県から福島県へ、「人生を懸けて福島に来た」という強い覚悟を持っての進学です。
この言葉からも、松谷鷹也さんの野球に対する真剣さが伝わってきますね!
学法福島では180cmを超える長身左腕として頭角を現し、投手と外野手を兼任して活躍しました。
高校2年生の秋、東北大会1回戦で花巻東高校と対戦したことは、松谷鷹也さんの野球人生において忘れられない出来事となります。
この試合には、後にメジャーリーガーとなる大谷翔平選手が在籍していました。
松谷鷹也さんは打者として大谷翔平投手と対戦し、サードファウルフライに打ち取られています。
また、投手として登板した際には、後に阪神タイガースで横田慎太郎さんの教育係を務める北條史也選手にホームランを打たれたそうです。
「プロに行く人はレベルが全然違う」と痛感したと振り返っていますが、プロの世界で活躍する選手たちと対戦できたことは貴重な経験だったでしょう。
しかし、高校3年生を目前に控えた2011年3月11日、東日本大震災が発生します。
授業中に想像を絶する揺れに襲われ、「頭の中では大丈夫と思っていても、身体の震えは止まらなかった」と当時を振り返っています。
しばらくは野球の練習もできず、寮の近くでがれきの片付けなどのボランティア活動に従事しました。
お年寄りの家のがれきを片付けると、「ありがとう」と謝礼と食べ物をもらったそうです。
「見知らぬ自分になぜ、手に入るか分からない食料をくれるんだろう」という経験は、松谷鷹也さんの心に深く刻まれています。
今でも3月11日が来るたびに思い出すと語っているそうです。
原発事故の影響で、県外出身者が多かった野球部の部員たちは一時的に散り散りになってしまいます。
春季大会は中止され、夏の福島大会もベスト8で敗退。
「人生を懸けて福島に来た」だけに、甲子園出場の夢が叶わなかったことは計り知れない悔しさだったでしょう。
それでも松谷鷹也さんは後に、「福島での3年間が支えになっている」と語っており、この経験が人間性の形成に大きく影響していることが分かります。
大学生時代
高校卒業後もプロ野球選手になる夢を諦められず、松谷鷹也さんは茨城県水戸市の常磐大学に進学し、硬式野球部に入部しました。
しかし、入学からわずか半年で肩を痛めてしまいます。
野球選手にとって致命的な怪我でした。
回復の見込みが立たないと感じた松谷鷹也さんは心が折れ、野球を続ける気力を失います。
大学を中退して神奈川の実家に戻り、引きこもり生活を送ることになりました。
次の目標が見つからず、コロナ禍にも見舞われた時期です。
野球以外に生きがいを見出せなかった松谷鷹也さんにとって、この時期は人生で最も苦しい時期だったに違いありません。
しかし、転機が訪れます。
兄に勧められて観た特撮ドラマ『仮面ライダーカブト』のヒーローの姿に「役者も誰かの背中を押せる」と感銘を受けたのです。
幼い頃に野球選手が人を勇気づける姿に感動してプロ野球選手を目指したように、俳優も同じように人の背中を押せる仕事だと気づきました。
「プロ野球選手になりたかった理由と、今、俳優で頑張っていたい理由はつながる」という松谷鷹也さんの言葉は、彼の人生観を端的に表していますね!
まとめ
松谷鷹也さんは、元プロ野球選手の父を持ち、自身も学法福島高校で活躍した元野球選手です。
高校時代には大谷翔平選手との対戦経験を持ちながらも、東日本大震災や肩の故障により野球の道を断念しました。
引きこもり生活を経て俳優へと転身し、下積みを重ねた末に主演映画『栄光のバックホーム』で横田慎太郎役を熱演。
第50回報知映画賞新人賞を受賞し、今後の活躍が期待される注目の俳優となっています!






