日本のドラマや映画で欠かせない存在となっている野間口徹さん。
そのwiki経歴を紐解くと、長い下積み時代を経て名バイプレイヤーとしての地位を確立した苦労人であることが分かります。
福岡県出身の彼は、信州大学での学歴を経て演劇の世界へ。
本記事では、個性派俳優として日本を代表する存在となった野間口徹さんの素顔に迫ります。
Contents
野間口徹のwiki経歴
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野間口徹さんの俳優としての道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
信州大学農学部在学中に演劇と出会い、卒業後は東京で俳優を目指すものの、長年にわたる下積み生活を強いられます。
しかし、その苦労が実を結び、現在では「テレビで見ない日はない」と言われるほどの売れっ子俳優となりました。
初期キャリアと演劇への道
野間口徹さんが演劇の世界に足を踏み入れたのは、信州大学の3年生の時でした。
松本キャンパスから伊那キャンパスに移った際、「農業文化開発公社」という演劇サークルと出会います。
当初は魅力的な先輩のお手伝いをするつもりだったそうです。
ところが人手不足で舞台に立つことになり、思いがけず褒められたことが転機となりました。
「じゃあやるか」という軽い気持ちで始めた演劇が、やがて人生を変える情熱へと発展していったのです。
このエピソードから、野間口徹さんの飾らない人柄が感じられますね。
大学では演劇に没頭する日々を送り、学校にはあまり行かなかったと本人も語っています。
生活費を稼ぐため、賄いがつくという理由で居酒屋のアルバイトを続けていました。
1999年には大学時代の仲間と「親族代表」というコントユニットを結成し、喪服姿で「真顔コント」を披露するという独特の活動も開始しています。
俳優としての苦闘と転機
大学卒業後、野間口徹さんは俳優の夢を追って上京しました。
「30歳までにメディアの仕事が入らなければ俳優を辞める」という覚悟を決めての挑戦でした。
しかし現実は厳しく、オーディションに落ち続ける日々が続きます。
俳優業だけでは到底生活できず、居酒屋で1日13時間という長時間労働をこなす生活が何年も続きました。
所持金が7000円にまで減り、そのうち5000円で購入した馬券が奇跡的に万馬券になったというエピソードもあります。
このような極貧生活の中でも、野間口徹さんは俳優の夢を諦めませんでした。
その粘り強さには本当に頭が下がります。
29歳になってようやく転機が訪れます。
CMの仕事が少しずつ入るようになり、メディアへの露出が徐々に増え始めたのです。
諦めずに続けてきた努力が、ついに報われ始めました。
ブレイクのきっかけ
野間口徹さんの名を一躍有名にしたのが、2007年放送のドラマ『SP 警視庁警備部警護課第四係』でした。
当時34歳だった彼は、主人公をストーカーのように監視する公安警察官・田中一郎という役を演じます。
この不気味でミステリアスなキャラクターが視聴者に強烈な印象を与えました。
主演の岡田准一さんを引き立てる脇役ながら、その存在感は圧倒的でした。
この作品の成功により、野間口徹さんへの仕事の依頼が急増します。
翌年にはついに長年続けていたアルバイトを辞め、俳優業一本で生活できるようになりました。
30歳という自分で決めた期限を少し過ぎてのブレイクでしたが、諦めなかった彼の姿勢が実を結んだ瞬間でした。
名バイプレイヤーとしての地位確立
『SP』以降、野間口徹さんは日本を代表するバイプレイヤーとして確固たる地位を築いていきます。
主役を食わず、しかし確実に作品に深みを与える演技が高く評価されました。
本人も「主役よりも脇役の方が性に合っている」と公言しており、主役を輝かせる立場で演技することに生きがいを感じているそうです。
この謙虚で職人的な姿勢が、多くの監督や共演者からの信頼を集めています。
2013年の朝ドラ『あまちゃん』、2021年の『天国と地獄〜サイコな2人〜』など、話題作に次々と出演。
2024年には『VRおじさんの初恋』で主演を務め、中年男性の初恋という難しい役どころを見事に演じきりました。
バイプレイヤーとしてだけでなく、主役としての実力も証明したのです。
主な出演作品
野間口徹さんの出演作品は多岐にわたります。
テレビドラマでは『サラリーマンNEO』シリーズでのレギュラー出演をはじめ、『とと姉ちゃん』『CRISIS 公安機動捜査隊特捜班』『あなたの番です』など数々の人気作に出演。
映画では『シン・ゴジラ』『海賊とよばれた男』『ミステリと言う勿れ』などで存在感を発揮しています。
舞台活動も精力的で、今でも「親族代表」での公演を不定期に続けているほか、ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出作品や白井晃演出作品にも参加。
その演技の幅の広さは、まさに「見ない日はない」と言われる所以です。
私生活では非常に愛妻家で子煩悩として知られ、撮影が終わるとまっすぐ家に帰ることで有名だそうです。
この真面目な人柄も、彼が愛される理由の一つでしょう。
野間口徹の学歴
野間口徹さんの学生時代を振り返ると、演劇とは無縁の環境で育ち、本格的に芝居を始めたのは大学3年生という遅いスタートだったことが分かります。
しかし、その遅咲きのスタートが、かえって独特の個性を育てたのかもしれません。
小学生時代
野間口徹さんは福岡県北九州市八幡西区で育ちました。
父親は教師、母親は保母(後に園長)という教育一家の環境です。
親戚もほとんどが教師だったと言いますから、かなり厳格な家庭だったことが想像できます。
実際、バラエティ番組や映画を見ることは禁止されていたそうです。
本人は「子どもの頃から本当にネクラだった」と振り返っており、成績優秀な姉と比較されることもしばしばでした。
高校生になるまでお小遣いももらえなかったというエピソードからも、その厳しさが伺えます。
小学1年生の時に地元の「穴生スイミングクラブ」で水泳を始め、これが後に俳優としての特技となりました。
厳しい家庭環境の中で、水泳が彼の居場所の一つだったのかもしれません。
中学生時代
野間口徹さんは北九州市立永犬丸中学校に進学しました。
中学時代も水泳を続け、3年生まで本格的に取り組んでいたそうです。
この頃も厳格な家庭環境は変わらず、将来は教師になることを漠然と考えていました。
教育一家で育った彼にとって、教師を目指すのは自然な流れだったのでしょう。
まさか自分が俳優という道を歩むことになるとは、この時点では想像もしていなかったはずです。
高校生時代
野間口徹さんは福岡県立北筑高等学校に進学しました。
偏差値58の進学校です。入学当初はラグビー部に所属しましたが、上下関係の厳しさに馴染めず1年生で退部。
その後、漫画研究部に入り直しています。
体育祭では徒手体操を披露するなど、学校行事には参加していたようです。
高校時代も水泳を続けており、スイミングスクールに通っていました。
この頃の野間口徹さんは、まだ演劇とは全く無縁の普通の高校生だったわけです。
大学生時代
野間口徹さんは信州大学農学部生物生産科学科に進学しました。
大学選びには興味深いエピソードがあります。
「センター試験だけで入れるところを探した。楽をしたくて」と本人が語っているように、二次試験を避けたかったのが理由の一つだったそうです。
動物が好きだったこと、スキーをやってみたかったこと、そして親元から離れたかったけれど東京に行く度胸はなかったこと。
これらの理由で信州大学を選びました。正直な理由で、野間口徹さんらしいエピソードですね。
当初は生物の教師になることを目指していました。
しかし運命の3年生の時、伊那キャンパスに移ってから演劇サークル「農業文化開発公社」と出会います。
芝居も会話も上手な先輩に衝撃を受け、人生が大きく変わり始めました。
このサークルは「異端の集まり」で、立て看板だけを描く人、体を動かす演劇をやりたい人、コントしかやらない人など、個性的なメンバーが集まっていたそうです。
結局、野間口徹さんは大学に5年間在籍しました。
学校にはあまり行かず演劇に没頭し、居酒屋でアルバイトをしながら過ごす日々。
この時期に培った演劇への情熱と、居酒屋でのアルバイト経験が、後の俳優人生を支える基盤となったのです。
まとめ
野間口徹さんのwiki経歴は、遅咲きながらも諦めない情熱で夢を掴んだサクセスストーリーです。
福岡県北九州市で厳格な教育一家に育ち、信州大学での学歴を経て演劇の道へ。
長い下積み時代を乗り越え、34歳でブレイクを果たしました。
今では日本を代表する個性派バイプレイヤーとして、数々の作品で存在感を発揮しています。
主役を輝かせる脇役という立場に誇りを持つ彼の素顔は、真面目で謙虚な職人そのものでした。



